昭和16年4月三島町は錦田村、北上村を合併し市政を施行し三島市となりました。三島市在住の医師14名は田方郡医師会から分離し同年6月に三島市医師会を設立しました。昭和7年三島市小中島(社会福祉会館のある場所)に木造2階建てが県の補助金等で建てられ、健康相談、健康診断を三島市医師会に委託されていたその建物のその一隅に事務所を置き医師会館としての運営を行っていました。しかし、この建物は戦時中軍隊に接収され終戦時の混乱期に戦災に罹災した社会保険沼津出張所、市図書館に占有されこの為医師会は一時隔離病舎の横に事務所を又、市役所の二階に事務所を置きました。昭和23年頃元に戻り市図書館の横に一部建物を増築しましたが、集会等は市議会会議室、町内会集会所を借りて行う状態でした。昭和35年市図書館が他に新築移転が決まりやっと独立した医師会館となりました。その当時、昭和35年松田市長の頃デパートの誘致の為医師会館立ち退きの噂があり、当時の医師会長関野一が松田市長との間に市所有地に医師会館を建設する旨の協定書を取り交わしました。昭和36年3月に医師会看護学院が医師会館中に創設され、その後医師会活動も活発となり、市に協定書の実行を迫り昭和48年三島メディカルセンター建設に際しこの協定書が役立ち、現在の三島メディカルセンターの建設が実現し、看護学院、臨床検査センターが移転しました。旧医師会館は土地と共に市に返還されました。

 昭和22年10月に従来の「医師会解散の法律」が公布され、県医師会、都市医師会は再度解散、役員総辞職。各医師会は新たに許可を受けて新制医師会として設立発足することとなり、昭和22年11月1日に現在の新制三島市医師会が誕生しました。昭和22年11月1日許可(県令第470号の6)昭和22年11月22日臨時総会に於いて承認役員を決定しました。会長塚田静保、副会長山口重方に決定しました。現在の三島市医師会の出発です。
 幕末大阪緒方洪庵の適々斉塾入門−資料によると、弘化2年東駿沼津として深沢雄甫、柳下立達の名が記載されている。現、深沢家(本町深沢薬局)、柳下家(東町柳下産婦人科)の祖であり、瀬尾元は瀬尾駿(瀬尾外科)の祖であり、明治34年三島病院の設立に寄与した藤掛正直は池田裕(芝本町池田医院)の祖です。
 三島市医師会40年史を参考に要約してありますので、詳しくは40年史を参考にして下さい。